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富山地方裁判所 昭和42年(ワ)104号 判決

原告

吉森ヨシヱ

ほか四名

被告

野沢菊次

ほか一名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は「被告らは連帯して原告吉森ヨシヱに対し金一〇〇万円、その余の原告ら四名に対し各金五〇万円を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに右第一項につき仮執行の宣言を求め、その請求原因として、次のとおり述べた。

一、亡吉森一雄は、富山県中新川郡立山町水道課から同町営上水道の水道管の緊急修理工事を命ぜられたところから、昭和四一年一〇月一五日午後三時一〇分ごろ、同県同郡同町上宮地内の幅員三・六五メートルの県道上において訴外高橋義範と二人で水道管の修理工事に従事していたもので、右工事は道路を掘り起して地下の水道管の漏水部分の取替え作業を行うのであるが、吉森は、高橋と交替しながら右作業を進め、地面に長さ約一メートル、幅約〇・六メートル、深さ約〇・八メートルの大きさの穴を掘り下げたところ、掘り出した土砂の堆積により穴の近くの道路上に高さ約〇・四メートルの盛り土ができたので、右両名は交替で発掘場所付近で見張りに立ち、通行人のとおるのを警戒していた。

なお、右県道は、破損個所があつたので、当時富山県立山土木出張所で修理工事を実施中であつたところから、吉森らの右作業現場の南方にある十字路付近に自動車通行禁止の標識が設置されていた。

ところが、右作業現場に立つて警戒に当つていた高橋は、自動車の音がしたのでちよつと見たところ、被告野沢雅已運転の自動車が南方から時速約四〇キロメートルの速度で右作業現場に向つて北進してくるのを認めたので、急いで右自動車の進路に立ち塞がり、両手を上げ、大声で「止まれ」と叫んで停止の合図をしたのに、被告雅已はこれを無視し、そのままの速度で進行を続けたので、高橋は衝突の危険を感じて身をひるがえしたところ、被告雅已は、自動車をそのまま突つ込ませ、右の穴のうえを跨いで通過し、約一〇メートル進んでようやく停止したが、穴のうえを跨いで通過した際、その穴の中で作業をしていた吉森の頭部に自動車を衝突(以下、この場所を本件事故現場という。)させて同人の頭蓋骨を粉砕し、よつてただちに救急車で吉森を近くの藤木病院に運び込む途中、同人をして同車内で死亡するに至らせたものである。

二、右事故は主として被告雅已の過失に基づき惹起されたものである。すなわち、

1. 本件事故現場から僅か離れた個所に自動車通行禁止の標識が設置されていたのであるから、たとえそれが大型車のみを規制の対象とするものであつても、右通行禁止区間内はどの地点で工事が施行されていて、そのため交通の障害になつているか判らないのであるから、自動車運転者たるものは、たとえ工事中であることを示す標識や危険防止設備が設けられていなくても、右通行禁止区間内においてはすべからく徐行のうえ、絶えず前方を注視し、地形、路面の状況、障害物の有無、道路周辺の工作物の状況、スピードに最大の注意を払つて進行し、もし道路上に交通の危険を認めた場合は、減速、停止、運転方法の変更など適切な措置を採り、もつて事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるものといわねばならない。しかるに被告雅已はこの注意義務を次のとおり怠つた過失のあるものである。すなわち、

(一)、被告雅已は、前記自動車通行禁止の標識に介意することなく、右標識による通行禁止区間内を徐行しないで、時速約四〇キロメートルの速度で進行のうえ、進路の前方に高さ約〇・四メートルの盛り土があるなど路面の異状に気付きながら、依然、右とほぼ同様の時速約三五キロメートルの速度のままで運転を継続し、もつて前記徐行義務と道路における交通の危険を発見した場合の減速義務を怠つた。

(二)、本件事故現場に通ずる県道は平担な道路で、右事故現場はその手前四六・三五メートルから見透しが可能であり、吉森が作業をしていた前記の穴はその手前約三五メートルから発見することができる。しかも吉森は右穴の中で、地上に頭部を出して作業をしていたのであるから、もし被告雅已が衝突前に右の穴やその中にいた吉森を発見しなかつたというのであれば、それは同人が進路上に障害物がないか、安全に通行できるか、どうかなど前方注視義務を尽さなかつたからにほかならない。

(三)、高橋が、被告雅已運転の自動車が接近してくるのを認めて、急遽、その進路上に立ち塞がり、両手を上げ大声で「止まれ」と合図をしたことは前記のとおりである。しかるに、被告雅已は高橋のこの姿を前方一二・三メートルで発見したというが、そのように高橋の姿の発見が遅れたのは、同人が脇見運転をして前方注視義務を怠つたことによるものである。そればかりでなく、仮に時速約三五キロメートルの速度で走行中の自動車が急停止の措置を採れば、通常六・五四メートルで完全に停車することができるから、被告雅已が、もし高橋の「止まれ」の合図でただちに急停止の措置を講じたならば、吉森の作業していた穴の手前で十分停止し、衝突は避けられた筈である。しかるに、被告雅已は高橋の右合図を無視して急停止の措置を採ることなく暴走し、その結果遂に吉森を轢殺するに至つたものであるから、同被告には道路における交通の危険を発見した場合の急停止義務を怠つた過失のあることが明白である。

(四)、本件事故現場は前記のとおり幅員三・六五メートルの道路上で、吉森の作業していた穴と右道路東側沿いの水路との間は一・七メートルの間隔がある。したがつて、右事故現場を通行しようとする者は、徐行さえすれば、右穴のうえを跨いで直進しなくても、ハンドルを右へ切つてこの穴と水路の間を無事に進行することができ、穴の中の吉森との衝突事故を惹起することもない訳である。立山町交通安全協会上段支部主催の交通安全パレードの宣伝車四台は、本件事故発生当日の午後二時ごろ右事故現場を通過したが、その際は現に右穴と水路の間を徐行している。しかるに被告雅已は本件事故現場を通行するにあたつて、右穴のうえを跨いで直進、通過して吉森との衝突事故を惹起したものであるから、同人には右事故現場の通行方法を誤つた過失があるものといわねばならない。

2. 高橋などにも過失があるとしても、それは軽微なものである。すなわち、

立山町水道課は、高橋に水道管の修理工事を命じた際、同人に本件事故現場を通ずる県道は車両の通行が全面的に禁止になつていることを告げ、したがつて右現場に安全柵などの危険防止施設を設けるように指示していない。この点は立山町当局の落度というべきであるが、高橋としては、このような立山町当局の言を信じ車両の通行はないものと思い込んでいたため、本件事故現場で水道管の修理工事を施行するにあたり、標識やバリケードを設置しなかつた(もつとも、立山町上段支部の宣伝車四台が本件事故発生当日の午後二時ごろ右事故現場を徐行し、通過したことは前記のとおりであるが、高橋としては右は交通安全運動のための巡回車であるので、特に通行を許されたものと考えた次第である)。それでも、高橋と吉森は、安全を期するため、二人が交替で作業をし、また交替で見張りに立ち通行人のとおるのを警戒していたもので、その間計らずも前記のとおり被告雅已運転の自動車が接近してくるのを発見した高橋がその進路に立ち塞がり、両手を上げ、大声で「止まれ」の合図をしたのに、同被告はこれを無視し、急停止することなく、そのままの速度で進行を継続した結果、遂に本件事故を惹起するに至つたものであるから、高橋に過失があるとしても、被告雅已のそれに比し、軽微といわねばならない。

三、原告吉森ヨシヱは亡吉森一雄の妻、原告浜野多加子、同吉森範子、同保一および同里美はいずれもその子である。

四、原告らは亡吉森一雄の死亡により次のとおりの損害をうけた。

1. 亡一雄は、死亡当時満五四才(明治四五年一月一五日生れ)で、生前、配管工として稼働し、月額平均三万六、〇〇〇円の収入をうるかたわら、田六反を使用して農業を営み、両者の収入を合算すれば一か月の総収入は金五万円を下らなかつたから、これより生活費一か月二万五、〇〇〇円を差し引いた年間純益は金三〇万円であり、もし本件事故に遭遇しなければ、同人はなお一八年間就労を期待できたから、ホフマン式計算により中間利息年五分を控除して算出すれば、その得べかりし利益を現在一時に請求するときは金二八四万円となる。

2. 亡一雄は前記収入によつて一家を支えていたものであるが、本件事故により無職の原告吉森ヨシヱや未成年の原告吉森保一、同里美らを残して死亡したもので、その精神的苦痛が甚だ大きなものであつたことは察するに余りあり、これが慰藉料としては金一五〇万円を相当とする。

原告らは、右一雄の死亡により、同人の被告に対する右1、2の損害賠償請求権を相続した。そして、これを原告らの相続分に応じて按分すると、原告吉森ヨシヱは金一四四万円(一万円未満切捨)、その余の原告らは各金七二万円(同上)の損害賠償請求権を承継したことになる。

3. 原告らは、亡一雄の葬儀費用として金一八万円を支出したが、これを相続分に応じて負担することにしたから、原告吉森ヨシヱは金六万円、その余の原告らは各金三万円の損害を被つた。

4. 原告らは、本件につき自動車損害賠償保障法により金一五〇万円の支払を受け、相続分に従つて、原告吉森ヨシヱは金五〇万円、その余の原告らは各金二五万円を受領したから、右各受領額を右2、3の各損害額からそれぞれ控除すると、原告らの各損害賠償請求額は原告吉森ヨシヱは金一〇〇万円、その余の原告らは各金五〇万円となる。

したがつて被告雅已は不法行為者として原告らに対し、右損害を賠償すべき義務がある。

五、被告野沢菊次は、被告雅已の実父で、自動車を使用して寝具販売、打綿業を営んでいるもので、被告雅已は被告菊次の右営業のために右自動車を運転して得意先廻りなどの業務に就き、本件事故は被告雅已が右業務に従事中に惹起されたものであるから、被告菊次は被告雅已の使用者として同人の行為による前記損害を賠償すべき義務がある。

六、よつて被告らに対し、原告吉森ヨシヱは金一〇〇万円、その余の原告ら四名は各金五〇万円の連帯支払を求める。

以上のとおり述べた。〔証拠関係略〕

被告らは主文同旨の判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

一、原告の請求原因事実第一項中、亡吉森一雄が原告ら主張の日にその主張の場所で水道管の修理工事に従事していたことおよび同人が同日頭蓋骨々折により事故死したことは認めるが、その余は争う。すなわち、本件事故発生の経過と状況は後記二のとおりである。

同第二項は否認する。すなわち、本件事故は訴外高橋義範などの過失により惹起されたものであつて、被告雅已にはなんらの過失もない。なおこの点は後記三に述べる。

同第三項は認める。

同第四項は争う。

同第五項中、被告菊次が被告雅已の父であることは認めるが、その余は否認する。

すなわち、被告菊次は、形式上、寝具販売ならびに打綿業の営業名義人になつているが、実質上は、同被告が打綿を、被告雅巳が寝具販売をそれぞれ専業としていて、被告両名間に使用主、被用者の関係はなく、また被告雅已が運転していた前記普通自動車ライトバンの所有名義人は訴外富山日産自動車株式会社で、同会社から訴外吉村貞夫が右自動車を買い受ける契約を結び、同人から被告雅已がこれを借り受けて使用しているに過ぎない。

二、本件事故発生の経過と状況は次のとおりである。すなわら、亡吉森一雄は、その妻の兄にあたる高橋義範が経営する高橋配管工業所の従業員であつたが、昭和四一年一〇月一五日午後二時ごろから富山県中新川郡立山町上宮地内の訴外大畑幸雄方前の県道「道源寺・上市線」上のほぼ中央で、水道管の修理工事のため、地面に長さ約一・二メートル、幅約〇・四メートル、深さ約〇・八メートルの穴を、作業中であることを通行人や車両に知らせるための標識やバリケードなどの危険防止施設をしないで、吉森ひとりで掘り下げ、一方、高橋は吉森に命じて右の穴を掘らせ、自分自身は右大畑方前栽内の灰納屋の前に屈みながらトーチランプを使用して水道管の修理用品を作るのに夢中になつていた。

被告雅已は、前記県道を北進し、右作業現場の南方一〇〇メートル位にある十字路角に差しかかつたところ、富山県立山土木出張所が右県道の決壊個所(右決壊個所は右作業現場の北方一五〇メートルほどの地点にある。)で復旧工事を行つている関係上、同出張所の手で自動車通行禁止の標識が設置されているのに気が付いたのでその前で一時停車のうえ、右標識を確かめると、大型車のみ通行禁止と明記されており、同被告の運転する普通自動車ニツサン・セドリツク・ライトバン(俗称ワゴン)は右規制対象外であることが判つたので、発進し時速約三五キロメートルの速度で再び右県道を北進し、カーブを廻つたところ、約四〇メートル前方の左の路肩に土砂が少し堆積してできた盛り土のあるのが認められたけれども、それには幾条かのタイヤの跡が付いていて幾分踏みならされていたしなんらの標識もバリケード等も設置されておらず、穴があることも発見し得なかつたうえ、見張りの者なども立つておらず、したがつて工事中で危険であることが判らなかつたので、そのままアクセルから足を離して進行を続けたのである。ところが、偶々、前記大畑方の玄関先で立ち話中に自動車の進行してくる気配に気が付いた訴外大畑恵子、同荒木ミサの両名が「車が来た」と叫び声をあげたことから、前記のとおり右大畑方前栽内の灰納屋の前で水道管の修理用品造りの作業に従事していた高橋が始めて我に帰り、狼狽のうえ、「しまつた」と言い残し、手に持つていたトーチランプを放り出して県道左際に飛び出し、すでに約一二・三メートル前方にまで接近してきている被告雅已の自動車に向つて両手を差し上げ、大声でなにごとかを喚いて制止の合図をしたようであつた。被告雅已は、これを見て驚き、咄嗟に急制動の措置をとつたけれども、高橋のただならぬ喚き声にびつくりした吉森が作業中の穴の内から頭を持ち上げたのと、惰性で被告雅已の自動車が右の穴を跨いで直進、通過するのとがほぼ同時になつたため、吉森はその後頭部を被告雅已運転の自動車の下部に接触させ、穴の中で倒れたので、被告雅已の自動車で急いで近在の藤木病院に運び込んだけれども、吉森は手当中に頭蓋骨々折により死亡したものである。

三、1 本事故は高橋などの過失により発生したものである。

およそ道路において水道工事や発掘作業をしようとする者またはその請負人は、右工事や作業について所轄警察署長の許可を受けなければならない(道路交通法七七条一項一号参照)のみならず、道路に水道管などの物件を設け、継続して道路を使用しようとする者は道路管理者の許可を受けなければならないことは法令の定めるところでもある。それだけではなく、本件事故現場のような道路上で水道管の修理工事ないし道路の発掘作業を行おうとする場合、工事の請負人や作業者としては、少くともその工事や作業を実施中で、道路の交通上危険のあることを通行人や車両などに警告を与えるとともに右危険を防止するための施設を設け、もつて道路の交通に支障を及ぼさないように努めるべき業務上当然の注意義務があるものといわなければならない。

しかるに、高橋に県道における水道工事を命じた立山町当局はもちろん、同町から右工事を請け負つた高橋のいずれにおいても、右工事について所轄警察署長や道路管理者である立山土木出張所に対し許可申請をなしたことがないばかりでなく、高橋は次のように前記の注意義務を全く怠り、本件事故を惹起せしめたのである。

(一)、高橋は、本件事故現場の県道上で吉森に命じて前記のとおり地面に穴を掘らせ、その中で作業を進めさせながら、高橋自身はその付近の民家の前栽内で別途に作業をしていて、本件事故発生当時まで一度も県道上に出て右現場を往来する車両を見張つたり、これに水道工事中であり、かつ危険であることを警告したことがないこと。

(二)、本件事故発生の直前に立山町交通安全協会上段支部が交通安全運動のパレードとして宣伝車四台を連ね、右事故現場を北進、通過したことがあるほか、それ以前にも何台かの車両が右現場を通過したことから、高橋は、当時通行が禁止されていた大型車は別として、規制対象外の車両が右現場を往来するのを屡々目撃しながら、制札や赤色の布片をもつて工事や作業を実施中であることの標識にしたり、バリケードなどの危険防止施設を設けたりすることもなかつたこと。

(三)、ところが、被告雅已の運転する自動車が右作業現場に向つて進行してきたことを訴外大畑恵子ほか一名が偶々発見し、大声で「車がきた」と叫んだため、これを聞知した高橋が夢中で県道へ飛び出し、進行してくる自動車に向つて停止の合図をしたが、時すでに遅かつたこと。

(四)、ちなみに、高橋は、本件死亡事故について、昭和四三年三月一九日これが業務上過失致死被告事件の被告人として富山地方裁判所に起訴され、審理の結果、同年五月一七日同裁判所で業務上過失致死罪により禁錮一年(三年間執行猶予)の有罪判決の宣告を受けたが、高橋は控訴をなさなかつたので、右判決は同年六月一日確定した。

2. 本件事故の発生について被告雅已にはなんらの過失も存しない。すなわち、

(一)、本件事故現場の南方一〇〇メートル位にある十字路角に立山土木出張所が設置した自動車通行禁止の標識は大型車のみを対象とするもので、被告雅已の運転していた普通自動車は通行を禁止されていなかつたばかりでなく、右標識には自動車の通行禁止を必要とした土木工事現場の位置および範囲が表示されていて吉森が作業をしていた本件事故現場はそのうちに含まれていない。したがつて、被告雅已が右標識にいわゆる大型車の通行禁止区間を進行するからといつて、通常の場合に要求される程度以上に、特に前方の注視を厳にしたり、速度を加減したりなどしなければならない理由はない。

(二)、被告雅已は自動車を運転し時速約三五キロメートルの速度で県道を北進して、カーブを廻り、本件事故現場の手前約四〇メートルの地点に差しかかつた際、前方の路肩に土砂が堆積してできた盛り土があるのを発見したことは前記のとおりであるけれども、右地点からは吉森が中に入つて作業していた穴を確認することは不可能であつたものである。しかも、右盛り土は、その道路中央寄りの部分が通過車両の幾条かのタイヤの跡で地面とほぼ同じ高さに踏みならされていたし、その付近には水道工事中で危険であることを示すようななんらの標識もバリケードなどもなく、見張りをしている者もいなかつたことは前記のとおりであるから、右盛り土に気が付いても、せいぜい前記大畑幸雄方から運び出された土砂か、あるいは県道の側溝を清掃した際に棄てられた土砂が堆積されたものと軽くみられる状況にあつたものである(なお、被告雅已は本件事故発生の日の前日に右事故現場を通ずる県道「道源寺・上市線」を北から南へ逆コースで通行し、その際に立山土木出張所が設置した前記自動車通行禁止の標識にいう土木工事現場なるものを見分していたから、右盛り土のある個所を土木工事現場と誤認し、混同するようなことはないのである)。されば、被告雅已は、前記のとおり本件事故現場の手前約四〇メートルの地点まで来た際、前方の路肩に盛り土のあるのを発見したが、幾条も付いていた前車のタイヤの跡にしたがえばよいとの判断のもとに進行を継続し、特に最徐行もしくは停車を要するとは考えられなかつたもので、もとより当然のことといわねばならない。

(三)、本件事故現場の地面に掘り下げられた穴の中で吉森が作業していたことは、被告雅已には右事故発生の当時まで遂に判らなかつたものである。なんとなれば、吉森は、本件事故に遭遇するまで、右の穴の中に蟄居して作業していたため、その身体が穴に隠れて地上に全然露出していなかつたので、被告雅已が同人を発見するよしもなかつたからである。そして、このような状態で作業をしていた吉森が、偶々、高橋のただならぬ叫び声に驚いて頭を持ち上げた瞬間、その後頭部と急制動後の惰性で穴のうえを跨いで直進、通過した被告雅已運転の自動車の下部が接触し、本件事故を惹起する結果となつたことは前記のとおりである。

(四)、被告雅已は、高橋が自動車の前方一二・三メートルの道路左際に突如として表われ、両手を差し上げ、大声で喚く姿を認めてびつくりし、咄嗟に急制動の措置に及んだことは前記のとおりであるが、当時の自動車の速度は時速約三五キロメートルであり、そしてこの程度の速度で走行中の自動車が急ブレーキをかけた場合には、通常、停止するまでに十数メートルの距離があるから、被告雅已としては、いかような措置をとつても、衝突は到底避けられない筋合である。

(五)、序でながら、被告雅已は、本件死亡事故のため、これが業務上過失致死事件の被疑者として捜査機関の取調べを受けたが、昭和四三年三月一九日富山地方検察庁で不起訴処分に付せられた。

以上のとおり述べた。〔証拠関係略〕

理由

一、亡吉森一雄が昭和四一年一〇月一五日午後、富山県中新川郡立山町上宮地内の県道上において水道管の修理工事に従事していたこと、同人が同日頭蓋骨々折により事故死したこと、原告吉森ヨシエが亡吉森一雄の妻、原告浜野多加子、同吉森範子、同保一および同里美がいずれもその子であることおよび被告野沢菊次が同雅已の父であることはいずれも当事者間に争いがない。

二、〔証拠略〕に当事者間に争いのない亡吉森一雄が原告ら主張の日にその主張の場所で水道管の修理工事に従事していた事実および同人が同日頭蓋骨々折により事故死した事実を総合すれば、次の事実が認められる。

亡吉森一雄は、その妻の兄で、配管、同修理等の請負業を営む訴外高橋義範の依頼により、同人が指定業者の扱いを受けている富山県中新川郡立山町水道課から請け負つた同町営上水道の水道管の漏水個所の修理工事に従事することになつたところから、高橋と共同して、昭和四一年一〇月一五日午後二時過ぎごろより同県同郡同町上宮地内の訴外大畑幸雄方前を南北に通ずる県道で、富山地鉄バス路線の「道源寺・上市線」(幅員約三・六五メートル)上に修理工事用の穴を掘り始めたこと、高橋は、立山町水道課から右水道管の修理工事を請け負つた際、同課員から右県道は同日諸車の通行が禁止されている旨を聞知したことなどから、車両の通行はないものと軽信したため、右修理工事を実施中で危険のあることを車両に警告を与えるような標識はもちろん、また作業をする者を車両通行の危険から防護する安全柵(バリケード)などの施設を設置しなかつたばかりでなく、高橋と吉森の両名が交替で右作業現場で見張りに立つて南方の上末方面や北方の福田方面から往来する車両がないか、どうか監視することを必ずしも確実に行わなかつたこと、被告雅已は、同日午後三時ごろ南方上末方面から普通自動車ニツサン・セドリツク・ライトバン(富五せ八九六六号、車幅一・六九メートル)を運転して南方上末方面から前記県道を北進し、右作業現場の南方約一〇〇メートル先の十字路角に富山県立山土木出張所が前記上宮地内の県道決壊個所の復旧工事を実施するため設置した車両通行禁止の標識があることに気が付き、一時停車をして確めたところ、右は大型車のみの通行を禁止するもので、自車はこれに該当せず、規制対象外であるので、発進のうえ、再び右県道を時速約三五キロメートルの速度で北方にやや進み、左に緩く曲がるカーブに差しかかつたこと、そのころ、吉森は、前記作業現場の県道のほぼ中央に道路に沿つて掘り下げた長さ約一・三メートル、幅約〇・六メートル、深さ約〇・八二メートルの縦長の工事穴の中に入り、しやがんで北向きの姿勢で作業を行い、そして右の穴の左(西)側の道路脇にはこの穴の掘さくにより掘り出した土砂の堆積のために長さ約二・二メートル、幅約一メートル、高さ約〇・四メートルの盛り土ができていたが、この盛り土と穴の間は同所を通過した車両のタイヤの跡で土砂が幾分踏みならされ、地表とほぼ同じ位の高さになつていたこと、ところで、被告雅已は、前記カーブを廻つたところ、約四〇メートル前方の道路左脇に右のとおりの盛り土があるのを認めたけれども、その右方に穴のあることはもちろん、穴の中で吉森が作業をしていることも同地点から発見し得なかつたうえ、現に作業中で危険のあることを示すようななんらの標識やバリケード等が設置されておらず、見張りの者が立つて合図している訳でもなかつたので、右盛り土の付近に水道管の修理工事用の穴が掘られ、その中で作業している者がいるなどのことに思い到らないまま進行を続けたこと、ところが、偶々、前記大畑幸雄方の玄関先で立ち話中に自動車の進行してくる気配に気が付いた訴外大畑恵子、同荒木ミサの両名が「車が来た」と叫び声をあげたこと、高橋は、当時右大畑幸雄方前栽内の灰納屋前付近にいたのであるが、同人もまた自動車の進行してくる音に気が付き、大畑恵子らが叫び声をあげるのとほぼ同時に、急いで表道路左(西)際の前記盛り土の北端付近に飛び出して南方を見た(前栽内の灰納屋前付近からは道路沿いに植栽された立木に視野が遮られるため南方を見通し得ない。)ところ、被告雅已運転の自動車が前方一七・八メートルの地点から前記速度で北進し、接近してくるのを認め、驚いて自動車の進路を遮るように両手を上げ、「オイ」と叫んで自動車に停止の合図をしたこと、被告雅已は、このように突然路上に飛び出し、両手を上げ、なにごとか喚いて自車の進路に立ち塞がるかのような高橋を約一二・四メートル前方に認め、危険を感じて、急遽、急制動の措置をとつたが、惰性で被告雅已運転の自動車が前記の穴を跨いで直進、通過したので、高橋は咄嗟に身をひるがへしてこれと接触の難を免れたけれども、前記のとおり右穴の中にいた吉森は、自動車が穴のうえを跨いで通過するのとほぼ同時に、不幸にも、頭を持ち上げたため、その後頭部を被告雅已運転の自動車の下部に衝突させて穴の中で倒れ、自動車は右衝突地点よりさらに約六メートル滑走して停止したこと、右事故現場付近の県道の幅員は前記のとおり約三・六五メートルで、そのほぼ中央に掘られた工事用の穴の西側には前記のとおり土砂が盛り土状に堆積され、東側には約一・七メートルを距てて県道沿いに用水(幅員約二・三メートル)が流れていること、なお右県道は非舗装の平担な砂利道で、本件事故発生前の降雨のため路面は湿潤の状態にあつたこと、吉森は、右事故後直ちに被告雅已の自動車で近在の藤木病院(富山県中新川郡立山町前沢一一八一番地)に運び込まれたけれども、同日午後三時一〇分ごろ頭蓋骨々折により死亡したこと。

以上の事実が認められ、〔証拠略〕中、右認定に反する部分はいずれも前掲証拠に照して信用することができず、その他に右認定を左右するに足りる適当な証拠はない。

三、よつて、次に本件事故の発生について、被告雅已に過失があつたか、どうかを右認定の事実関係に照して検討してみる。

1  原告らは、まず、被告雅已には自動車通行禁止の標識による通行規制区間内で徐行しなかつた過失があるように主張し、本件事故当日、右事故現場の南方約一〇〇メートル先の十字路角に富山県立山土木出張所の設置にかかる車両通行禁止の標識があつたけれども、右は大型車のみの通行を禁止するもので、被告雅已の運転した自動車は普通自動車で、規制対象外であるので、同被告が本件事故現場近くまで時速約三五キロメートルの速度で進行したこと前記認定のとおりであり、そしてなんら通行を禁止されていない大型車以外の車両が、単に大型車のみの通行が禁止されているに過ぎない区間であるからといつて、ただそのことだけで右の区間内を徐行しなければならない理由を発見することが困難であるから、被告雅已が右のとおり徐行しなかつたことに過失があるものということはできず、また、原告らは、被告雅已は進路の前方に高さ〇・四メートルの盛り土があるなど路面の異状に気が付きながら減速しなかつた落度があるように主張するけれども、被告雅已が本件事故現場の南方の左曲りのカーブを廻り、約四〇メートル前方の道路左脇に盛り土を認めた際における右盛り土付近の状況が前記認定のとおりである(なお、〔証拠略〕によれば、被告雅已は、右盛り土を発見した際、これをその西側の訴外大畑幸雄宅の土砂が置いてあるのかなと思い、工事によつて堆積されたもののようには感じなかつたことが認められ、自動車運転者の走行中の瞬時の判断として、あながちこれを不当視するを得ない。)以上、同被告が道路上に危険を認めないで、減速しなかつたことを非難し得ないものといわねばならない。

2  次に、原告らは、被告雅已が本件事故現場の工事用穴やその中の吉森をあらかじめ発見しなかつたのは前方注視義務を尽さなかつたからであると主張するが、本件全証拠によつても、被告雅已が前方の注視を怠り、しかもそのことのため右工事用穴やその中の吉森を事前に発見し得なかつた事実を認めるに足りず、かえつて、〔証拠略〕によれば、この工事用の穴は、その手前約四〇メートルの地点からは、注意をしてみても路面の単なる凹部としか判らず、その手前約一九、一五、一〇メートルと順次接近し、注意してみれば、いずれの地点からも一応穴らしきものの存在が認められるけれども、その深さは判然とせず、いわんやそれが中に入つて作業することができるような穴であるか、どうかは判らず、また、作業者が右の穴の中でしやがんだ姿勢をとつている場合には、その手前約四〇、一九、一五、一〇メートルと順次接近してみても、どの地点からも穴の中に人が入つていることを発見し得ないこと、すなわち、たとえ前方の注視を怠らなくても、本件事故現場の工事用穴やその中でしやがんで作業していた者を事前に発見することは総じて困難な事柄であることを看取するに難くない。されば、被告雅巳がこの点の前方注視義務を尽さなかつたとする原告らの右主張はまた当を得ない。

3  また、原告らは、被告雅已運転の自動車の接近してくるのを認めた高橋が両手を上げ、大声で停止の合図をしているのに、同被告がこの高橋を前方一二・三メートルに接近するまで発見できなかつたのは、同被告の前方不注視によるもののように主張する。しかしながら、自動車の進路上に突然危険が出現してから、運転者がこの危険状態を自ら認識するまでに多少の時間を必要とすることは、いかなる運転者にとつても避け難いところである。ところで、高橋が自動車の音に気が付き、急いで県道上に飛び出して南方をみた際、同人は前方一七、八メートルの地点から北進、接近中の被告雅已の自動車を認めたこと、そして高橋は驚いて両手を上げ、「オイ」と叫んで自動車に停止の合図を送つたのに、被告雅已はこの高橋を約一二・四メートル前方に認めたことは前記認定のとおりであるから、被告雅已は、自車の進路上に高橋が突如出現してからその状態を認識するまでに五メートル前後の距離を従来の速度のまま進行を続けたことになり、そして、この距離と同被告の自動車の当時の速度(時速約三五キロメートル)を基礎にして、高橋が進路上に出現してからその状態の認識をうるまでに被告雅已が必要とした時間を測つてみると、およそ二分の一秒となる筋合であるが、自動車運転者が危険に不意に遭遇した場合、これが認識に多少とも時間を要することを否定し得ない以上、被告雅已運転の自動車が前記の程度の距離を空走したことのみをもつて、同被告に脇見等の不注意な運転があつたものと認めることはできない。また、原告らは、被告雅已は高橋の停止の合図を無視して急停止の措置を採らなかつた過失があると主張するが、被告雅已が前記のとおり前方約一二・四メートルの自車の進路上に高橋を認めるや、危険を感じて、急遽、急制動の措置を講じたが、自動車は惰性で工事用穴を跨いで直進、通過し、右穴からさらに約六メートル滑走して停止したことは前記認定のとおりであつて、してみると、被告雅已が高橋の合図にかかわらず急停止の措置を採らなかつたとの原告らの非難はあたらないけれども、同被告が進路上に出現した高橋を認めてから急制動により停車するまで約一八・四メートルの距離を前進した訳である。ところで、この点について、原告らは、時速約三五キロメートルの速度で走行中の自動車が急停止の措置をとれば、通常六・五四メートルで自動車は完全に停止すると主張し、〔証拠略〕は原告らの右主張に副うもののようであるけれども、右証拠は、運転者が、突然、出現した危険の性質を理解し、急停止の措置をとるまでとブレーキ・ペタルが踏まれてからブレーキの効果が発生し、最大制動力に達するまでにそれぞれ要する時間(この時間の経過中、自動車はほとんど従来の速度のまま進行を続ける。)、したがつてその間の前進(空走)距離が全然考慮されていないのみならず、制動力開始から停止までのいわゆる制動(滑走)距離は、ブレーキおよびタイヤの状態、道路の摩擦係数(路面の種類や状態によつて異なる)その他の諸要素に左右されるところ大と考えられ、しかも本件事故現場の路面は雨上りの湿潤な状態であつたのに、このような点を十分検討したものとは解されないから、該証拠のみをもつて、被告雅已が進路上に高橋の出現したことを認めてから同被告がとつた措置に疑いを挿む資料とはなし難く、その他に被告雅已のとつた右措置に過失があることを認めるに足りる証拠はみあたらない。

4  さらに、原告らは、被告雅已は、徐行さえすれば、本件事故現場の工事用穴を跨いで直進しなくても、この穴の右側を迂回することによつて無事に右現場を通行することができたのに、同被告がこれをしなかつたのは同所における通行方法を誤つた過失があるものであると主張するが、被告雅已が本件事故現場に差しかかるまでに、あらかじめ減速ないし徐行しなかつたことに落度がなく、非難し得ないものであることは前記1で説示したとおりであり、してみれば、同被告が従前の時速約三五キロメートルの速度のままで進行を継続したことは誠にやむを得ないところで、本件事故現場に極めて接近した時点において、被告雅已に突如として徐行のうえ、右現場の工事用穴の右側を迂回するなどの避譲の措置を求めることは、前記認定の右事故現場における路面や水路および本件事故車の各状況、右事故車の当時の速度などにかんがみて、難きを強いるものというべく、同被告がこれをしなかつたからといつて過失があるものということはできない。

5  なお、前記認定の事実によれば、高橋は立山町水道課から水道管の修理工事を請け負つた際、同課員から右事故現場を通ずる県道が諸車通行禁止であると聞かされたことなどから、車両の通行はないものと軽信したものであるが、そもそも本件事故はこのことに端を発していると考えられる(〔証拠略〕によれば、立山町の水道課員は、右県道の交通規制を富山地鉄バスの営業所から聞知しただけで、ことの正否を確めるためのなんらの方法をもとることなく、高橋に諸車の通行が全面禁止になつているように申し伝えたことが認められるが、そうだとすると、同課員のこのような軽率な行為が責められても仕方があるまい。)、すなわち、高橋は、水道課員の言を信じ、車両の通行はないものと思い込んだため、本件事故現場で水道管の修理工事を施行するにあたり、なんらの標識も安全柵などの危険防止施設を設けず、見張りなども必ずしも確実に行わなかつたものである。ところが、高橋は、訴外大畑幸雄方前栽内の灰納屋前付近で自動車の進行してくる音に気が付き、急いで表県道に飛び出し、被告雅已の自動車の接近してくるのを認めるや、その進路を遮るように両手を上げ、「オイ」と叫んで右自動車に停止の合図を送つたことは前記認定のとおりであるが、同人の右自動車の発見およびその後の諸措置はすでにその時機を失したものというべきで、本件事故の発生が高橋などの過失に起因することは否定し得ない。

以上のとおり、被告雅已には本件事故の発生について過失はなく、そして〔証拠略〕中、被告雅已に過失があるとする部分は、すでに縷々検討してきたところに照して、たやすく信を措き難く、したがつて被告両名には、爾余の争点について判断をなすまでもなく、本件事故について損害賠償の責任はないものといわねばならない。

四、よつて、原告らの被告両名に対する本訴請求は理由がないから、これを棄却することとし、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岡村利男)

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